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「泣いて馬謖を斬る!」のことわざに学ぶ人材登用

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日本人に最も人気がある、中国の歴史的偉人である諸葛亮孔明にまつわることわざに、「泣いて馬謖を斬る!」と言うことわざがあります。

この「泣いて馬謖を斬る!」のことわざには、そのことわざの由来や記述に伴う歴史や例え方から、現代社会や人間関係においてさまざまなケースに対応できる教訓ともなります。

今回は中国三国志にちなんだことわざ、「泣いて馬謖を斬る!」の意味や、そこから学び現代社会にも活かせる方法を考察していきます。

 

ことわざ「泣いて馬謖を斬る!」の由来!

中国の三国時代の話です。蜀の国の武将であった馬謖が「街亭の戦い」において、丞相である諸葛亮の命に従わずに(スタンドプレーに走ってしまった為)、魏軍に大敗したために、諸葛亮が日頃重用していた馬謖を、泣いて斬罪に処したというエピソードにちなんだことわざです。

泣いて馬謖を斬る!」の意味

いかなる有能な部下や目をかけている部下でも、上司の指示を無視して起こした失敗の責任を見過ごしては、やがて組織の秩序が守られなくなり統率力がなくなります。

そうならない為にも上司は「心を鬼に」して、部下を処罰しなければなりません。

話は三国志時代に戻りますが、馬謖は蜀の丞相であった諸葛亮の愛弟子であり、有能な武将でありました。

当時の中国の地政的な背景を見ても、蜀は他の二国とは違い小国であり、人材的にも他の二国と比べて不足していました。

しかし、いくら有能な愛弟子でも、丞相であった諸葛亮の命に従わずに、魏軍に大敗した失態を見過ごすわけにはいきません。

馬謖ほどの有能な将を」と惜しむ声もありましたが、諸葛亮「軍律の遵守が最優先」と答え、涙を流し馬謖の斬罪に踏み切りました。

諸葛亮の涙!もう一つのエピソード

泣いて馬謖を斬る!」に関しての記述には、西晋王朝に書かれた歴史書三国志」と明王朝に書かれた小説「三国志演義」とで記述されてありますが、内容は少し違います。

史書三国志」では、諸葛亮馬謖を思い彼の為に涙を流したとされています。

しかし、もう一方の「三国志演義」では、諸葛亮はかつて劉備から「馬謖を重く用いてはならない」と遺されていたにもかかわらずに、馬謖を重用した自身の不甲斐なさに涙したとなっています。

どちらにせよ、諸葛亮は命に背いた馬謖を処罰し、馬謖を重用した責任をとって自身も丞相から右将軍へと降格したのでした。

諸葛亮孔明

我々日本人には非常に人気がある歴史的偉人です。

非常に聡明であり、戦略や政治にも長けた天才軍師というイメージがあります。

しかしその一方で、劉備への義理を重んじ最後まで蜀の為に尽くしました。

そのような諸葛亮であっても、大事な局面で実践経験が未熟である馬謖の起用などの失敗も、おかしてしまいました。

いくら天才でも失敗はしますし、愛弟子にチャンスを与えてあげる気持ちがあるのが、人間であり、そこが諸葛亮の人気がある所ではないでしょうか!

しかし、国の命運を賭けた戦いでの失敗は、取り返しがつかず、諸葛亮馬謖の処罰と自身の降格処分に踏み切り、軍律を遵守する事によって統制を正す事を最優先に考えた所などは、自身の情にとらわれず、国益を最優先に考える所は、非常に英断であり諸葛亮の非凡たる所以であります。

泣いて馬謖を斬る。」を現代に例えれば!

現在では例え大きな失敗をしても、法律的に斬罪などはあり得ません。

したがって、現代的に「泣いて馬謖を斬る」を適応すれば、目をかけていた部下や身内が、スタンドプレーに走り失敗すれば、上司は私情を捨てて部下や身内に処分を下し、失敗した部下や身内は、そのプロジェクトから外されたり、左遷や降格処分など何らかの処罰を科せられます。

上司が有能な部下だからと、多目に見て厳重注意だけの処分で終わらせると、逆に上司が他の部下からの信用を失い、また管理責任を問われます。

諸葛亮はこうゆう事を見越して馬謖を涙ながらも斬罪に処して、自らにも降格処分を課したのです。

はたして馬謖は有能だったのか?

馬謖の能力は関しましては、有能か無能かといえば有能ではあったと私は思います。

しかし、実践経験に乏しく、諸葛亮の命を聞かずにスタンドプレーに走るところなどは、自意識過剰であり指導者としての資質や能力に欠けています。私の想像ではありますが、馬謖はゴマすりが上手だったのではないかと思われます。

そのゆうところを皇帝の劉備は見抜いていたのでしょう。

人には誰しも長所と短所とがあり、指導者は場面に応じて部下の能力や性格なども考慮しながら起用しなければなりませんが、必ずしも成功するとはかぎりません。

失敗したならば、諸葛亮のように適切に部下と自身に処罰を科さなくては、組織全体の統率力が無くなり弱体化を招きます。

まとめ

ことわざ「泣いて馬謖を斬る!」の由来は、中国史三国時代は蜀の国にまつわる誌実からきています。

武将である馬謖が、それまで目をかけてくれていた丞相である諸葛亮の命に背き、自身の戦略で戦い魏に惨敗し、諸葛亮によって涙ながらに斬罪に処された際のエピソードにちなんだことわざです。

意味は、いくら有能でお気に入りの部下でも、上司の命令を聞かずに勝手な行動をとり、組織に対して損害を与えた場合には、いくら有能でお気に入りの部下であっても、上司は私情を捨てて部下に処罰を与えなければ、統率力に影響することになるという例えです。

部下が大きな失敗をした場合に、気持ち的には大目にみてやりたいが、組織の秩序や失敗した部下がおなじ過ちをしないように「心を鬼にして」決断するときに形容されることわざです。

今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 

※参考資料=Wikipedia泣いて馬謖を斬る