どうも、みかんの執事です。
私はよく、この二つの対照的な論説について、考えてみたりします。
この二つの論説は、古代中国の儒教家、孟子と荀子によって、唱えられた論説です。
まずは歴史からざっと説明してみますと、今からはるか昔、紀元前300年くらい前に、孟子が「人間の性は、生まれながらに善の性分であり、不善を行うのは外部からの影響によるもの」と、唱えました。
それから、50年後くらい後に、孟子の性善説に異を唱えたのが荀子でした。「人間の性は生まれながらに悪であり、その善なるものは偽なり」と、唱えたのでした。
この二つの論説はよく宗教の例えで引用されますが、(よく仏教は性善説で、キリスト教が性悪説に例えられる)よく解釈してみると、宗教的な例えとは少し違います。
性善説とは、人間は生まれながら仁、義、礼、智の徳を誰しもが持っていて、外部からの悪い影響に負けない様に、学問や礼儀を努力して習得し、より良い徳を身につけなさい。と言うものです。
もう一方の、性悪説とは、人間とは本来弱い存在であり、欲望のままに生きると獣と同じであるから、学問や礼儀を努力して習得し、より良い徳を身につけなさい。と言うものです。
一見極論のように聞こえますが、言っている内容は同じなのであります。
私は、どちらかと言うと、荀子の性悪説の方がしっくりしますが、どちらともに共感できます。
そこで、私なりの両論の解釈を考えてみました。「人間は誰しも生まれたては、無垢であり、お腹がすいたり眠ったりとした生理的欲求しかありません。その後、成長過程で自我の形成と共に欲も芽生えてきます。その様な成長過程の時期に学問や礼儀が身についていなければ、善悪の判断がつかず、欲望のままに生きる獣と何ら変わらないのです。ですから親は家庭で礼儀や物の善悪を教え、学校では学問や社会の秩序を学び、善悪を判断できる知恵を身につける努力をし、また親や大人も、子供を通して学ばなければならないのです。」あくまでも私なりの解釈です。
近年は日本人の道徳観も低下し、善悪の基準も一昔前と変わってきているように感じます。拝金主義者のように、お金だけ稼げれば良いというのは、ただの欲望にすぎませんし、社会の秩序も守れません。
ですから、ここでもう一度性善悪説を考え直して、姿勢を正してみませんか?
今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。🙏
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