みかんの執事

みかん執事のひとり言。

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七生報国と楠木正成とは!

七生報国」という言葉を聞くと、特攻隊や太平洋戦争といった、軍国主義をイメージする人も少なく無いのではないでしょうか?

七生報国」とネットで検索すれば、よく楠木正成という名前が出てきます。

では「七生報国」とは楠木正成公の名セリフなのか?という観点から調査を始めましたので、調査した結果を私なりの解釈で説明してみたいと思います。

【目次】

 

七生報国」とは!

 

まず、「七生報国」の意味ですが、(何度生まれ変わっても国や天皇陛下の為に報いる。)という意味です。

では、「七生報国」と楠木正成公との関係性から説明いたします。

楠木正成とは!

f:id:kriatenluciana:20230422180729j:image「大楠公」こと楠木正成とは、鎌倉時代後期から南北朝時代に活躍された武将であり、後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府倒幕に尽力し、建武の新政を支え、帝から最も厚い信頼を得ていた人物なのです。(歴史上、戦の天才と言われている。

後醍醐天皇が見た「夢のお告げ」により招集されて以来、最後まで後醍醐天皇に仕えた忠臣なのです。

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後醍醐天皇建武の新政

西暦1318年に後醍醐天皇は即位して以来、天皇親政を志し倒幕を目論むようになりました。

その目論みが幕府にバレたりして、紆余曲折もしましたが、西暦1331年に護良親王楠木正成らと共に決起し、倒幕に動きます。

これが「元弘の乱」です。

当初、圧倒的な不利のなか楠木正成の奇策も講じて盛り返し、そこに鎌倉幕府の冷遇に不満を持っていた足利尊氏新田義貞やその他の家臣らが後醍醐天皇側に付き、ついに鎌倉幕府を倒しました。

そして、西暦1333年に建武の新政と呼ばれる、建武政権を立ち上げましたが、公家や貴族などを優遇し武家を冷遇する政権であったために、次第に足利尊氏らとの間に確執ができて、尊氏らは後醍醐天皇と対立するようになりました。

同じく、新政権に冷遇されていた武家の人達も尊氏に賛同し、戦となりました。(公家や貴族と武家との調整に失敗した。)

湊川の戦い

何としても尊氏との対立を避けたい楠木正成は数々の助言を後醍醐天皇に進言しますが、公家や貴族達には聞き入れてもらえませんでした。(後醍醐天皇も辛いところ。)

そして、西暦1336年に後醍醐天皇側(楠木正成新田義貞など)対足利尊氏側(武家連合軍)が現在の兵庫県湊川で対戦したのです。

後醍醐天皇側が圧倒的に不利で挑んだ戦いの中、楠木軍は善戦しますが敗れました。(正成は勝ち目のない戦と分かっていて、足利軍の足止めのために善戦した。)

七生報国」の由来となった言葉。

戦いに敗れ、敗走中に民家に駆け込み、十念を唱えながら弟の正季と刺し違えながら自害されたと伝えられています。

死に際に正成は正季に「九界のうちどこに行くか?」(来世は何に生まれ変わるか?)と問うと、正季は、「七生まで只同じ人間に生まれて、朝敵を滅さばやとこそ存候へ」(何度同じ人間に生まれ変わっても、朝敵を滅ぼそうと思います)と答えました。

正季の言葉に対し、正成は「罪業深き悪念なれども、我もかやうに思ふなり」(なんとも罪深い邪悪な思いだが、私もそう思う)と笑って答え、二人刺し違えたと伝えられています。

この時の、正成と正季の最後の言葉が、後の「七生報国」という言葉のモデルとなっているのです。

私の見解。

七生報国」という言葉は、楠木正成が語った言葉では無くて、楠木兄弟が後醍醐天皇のために戦い、自害する前の最後の会話をモデルにして、戦時下の大日本帝国が考え出したスローガンであり、このスローガンを使い、国民を戦場に駆り出したのです。(大相撲などで力士が昇格を受ける際の口上など、日本人は四文字熟語が好きである。)

戦争や戦、死を覚悟した戦いと、楠木正成らの朝廷のために戦う忠義の逸話などが重なって、「七生報国」と言えば楠木正成とイメージされるのではないでしょうか!

最後に。

楠木正成に関しては、最後まで後醍醐天皇にお仕えした忠臣として語られます。

それはたとえ「夢のお告げ」であったとしても、悪党と呼ばれる地方の一豪族にすぎなかった楠木正成後醍醐天皇が登用し、正成の功績に対し、天皇から数々の官位や菊水の家紋まで授かりました。

そして何より、歴史の表舞台に立ち、短いながらも一際輝く事が出来ました。

正成は後醍醐天皇から受けた恩義を最後まで持ち続け、仕えたのであります。

それに対して、「七生報国」など数々の戦時下のスローガンは、国民を戦場に送り出す為の宣伝効果や洗脳教育だったように思います。

私は楠木正成の忠義の心と戦時下のスローガンとは全く違うものであって、全く別の意味で考えてもらいたいものです。

私は以前、知覧平和会館を訪れた際、語り部の人が語っていたのが印象に残っています。

「特別任務で出撃していった兵隊さん達は、天皇陛下万歳大日本帝国万歳などとは言わず、お母さんや、家族、友人達など愛する人の名前を呼び、愛する人を守る為に出撃していきました。」

当時の教育や社会の雰囲気から、徴兵されれば出征するのは当たり前であり、自ら志願する者までいたらしいですが、その思いの根源には愛する人を守りたい!という気持ちがあったからだと思います。

戦争や紛争などを起こしても、一部の勢力が金儲けをするだけで、国民は不幸になるだけです。(特に未来ある若者が駆り出されます。)

洗脳教育などは決して行ってはならないのです!

国防は勿論大事ですし、抑止力にもなります。けれども、国と国とが争わないように、国は外交面で努力し、解決してもらいたいです。

今回は少し神経質な話題となりましたが、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。🙏

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