みかんの執事

みかん執事のひとり言。

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幕末期の名君:島津斉彬公と日本の近代化

 

観光に歴史に魅力いっぱいの鹿児島

今回は、みかんや農業とは関係のないお話です。

私は以前、バイクに乗ってツーリングに行くのが趣味であり、日本各地を見て回るのが生きがいでした。

とりわけ、鹿児島県を訪れた際、観光地も多く、景色が美しく県民性もおおらかなのに芯がある所など、すっかり魅了されました。

そして何より、歴史や文化、歴史的な偉人も多く輩出されています。

その中でも、私の最も尊敬している人物は薩摩藩第11代藩主の島津斉彬公です。f:id:kriatenluciana:20230214192319j:image

島津斉彬とは

薩摩藩(現在の鹿児島県)の君主であり、「島津に暗君なし!」と謳われる名君揃いの島津家において幕末期きっての名君と呼ばれるのが斉彬公です。

後の世の薩摩出身の偉人たちが、日本の中央に進出し、日本が近代化して行く基礎を作った人物です。

斉彬公が進めた近代化

斉彬公は藩政改革に着手し、西洋列強のアジアの植民地化に脅威を感じ、「集成館事業」に着手し、製鉄、造船、紡績などなどの様々な事業の近代化を進めました。

(ニセガネ作りなどネガティブな噂もあるが、ある意味当時の金融システムを薩摩藩が熟知していたように思います。)

後の、生麦事件から発展していく薩英戦争などで、当時世界最強と謳われたイギリス海軍相手に奮戦できたのも、斉彬公時代に有事の為に備えて錦江湾周辺に砲台を配備し、現在の鹿児島市周辺を要塞化していたからだと言われています。(やがてこの薩英戦争の後、薩摩藩とイギリスの関係が急接近し討幕から明治維新に向かって行った)

それに、西郷隆盛などの身分の低い武士でも、実力や才能がある人材を積極的に登用しました。f:id:kriatenluciana:20230214193347p:image

 

薩摩藩独特の教育システム

後、私は薩摩藩独特の郷中教育といわれるシステムにも関心させられました。

郷中教育とは、(郷中の郷とは町内会のような小さな組織)6歳から24歳までの青少年が、先生の家に集まり、学年の枠を超えて同じ学舎で勉強をしていました。

それは、先輩が先生から学んだ事を後輩に教えて、後輩が先輩から教わった事を、また自分の後輩に教えていくというシステムであり、そこからお互いに得られるものは、学問だけではありません。

・先輩が後輩に教えていく使命感と責任感。

・後輩に伝える事で、自らの知識の定着。(学習と復習)

これらの薩摩藩独特の教育システムが多くの偉人を輩出した根源ではないでしょうか?

最後に

私はいつも、国の将来の発展は、子供の教育の質にかかっていると考えています。

今、現在の日本の教育は低下している様に感じます。教育の低下はすなわち、将来の日本の国の存亡に関わってきます。

やはり、知識や知性が低ければ、諸外国につけいられ経済システムをも支配され植民地と同様になります。 

やはり、我が国も教育改革から取組み、就学以前の幼稚園くらいから始めなければならないと感じます。(実際真剣に子供の将来を見据えている親御さん達は就学以前にプリスクールなどに通わせています。)

少し話がずれましたが、鹿児島の観光だけではなく、歴史や文化、教育にまで魅了された私みかんの執事でした。

今回もおつきあいいただきありがとうございました。🙏